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大阪地方裁判所 昭和63年(わ)157号 判決

主文

被告人Dを懲役八年に、被告人Cを懲役六年に、被告人Aを懲役五年に、被告人Eを懲役四年六月に、被告人Bを懲役一年二月に処する。未決勾留日数中、被告人Dに対しては五四〇日を、被告人Cに対しては五七〇日を、被告人Aに対しては六〇〇日を、被告人Eに対しては四五〇日を、被告人Bに対しては右刑期に満つるまでの分をそれぞれの刑に算入する。

被告人Dから、押収してある回転弾倉式けん銃二丁(昭和六三年押第一三一号の4及び5)及び実包一四発(同号の6)を没収する。

訴訟費用は被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eの連帯負担とする。

被告人Bに対する本件公訴事実中昭和六三年三月一九日付起訴状記載の各公訴事実(殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反)については、同被告は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人D(以下、被告人Dという。)は暴力団○○組系一心会内金沢組若頭で同組内輝竜会組長、被告人B(以下、被告人Bという。)は金沢組若頭補佐、被告人C(以下、被告人Cという。)及び被告人A(以下、被告人Aという。)はいずれも輝竜会若中であり、被告人E(以下、被告人Eという。)は、昭和六二年一一月一九日に前刑について仮出獄した後、被告人Cと行動を共にし同被告人の兄弟分として被告人Dに世話になっていたものであるが、

第一  被告人Bは、昭和六二年一一月四日午前零時過ぎころから大阪市西成区〈住所略〉所在のスナック「幸」で飲酒中、同じく同店で二人の連れと一緒に飲酒していた暴力団一和会系F組組長F(当時四六歳)が、被告人Bの知り合いである同店のホステスに対しその身体をしつこく触ったりしたうえ、被告人Bがカラオケで歌を歌おうとしたときに「これ、誰が歌うんや」と言って横槍を入れたりしたとして立腹し、Fらに対抗するのに同区内の右金沢組事務所に架電して同組組員らを呼んだため、同組組員G、被告人C、被告人A及び同組幹部のHことHの四名が相次いで同店に来て、同店内で被告人Bら五名とF並びに同人の連れであるF組組員I(当時二六歳)及び同J(当時二六歳)の三名との間で険悪な雰囲気になり、同日午前一時四五分ころ、HがFに対し「おまえら、どこの組のものや。」等怒鳴りつけ、同人が「喧嘩するんやったら表へ出てせえ。」等と言い返すや、被告人B、被告人C及び被告人Aは、H及びGと共に、F、I、Jの三名に対し共同して暴行を加えようとの意思を相通じてその旨共謀のうえ、同店から出て、同店前路上において、被告人B及びHとIの間で店内からの口論を続けた後、F、I及びJの三名を相手に乱闘を始め、

一  Fに対し、被告人Aにおいて背後からその右側頭部を一回、背部を数回いずれも金属バットで殴打し、Hにおいてその腹部に組みつくなどし、

二  Iに対し、被告人Cにおいてその頭部、顔面等を手拳で数回殴打し、被告人Bにおいてその腕等を金属製のの特殊警棒で数回、顔面等を手拳で数回それぞれ殴打し、被告人Aにおいてその側腹部や背部等を金属バットで一〇回位殴打するなどし、

三  Jに対し、Gにおいてその顔面等を手拳で数回殴打し、被告人Aにおいてその背部を金属バットで一回殴打するなどし、もって、右Fら三名に対しそれぞれ数人共同して暴行を加えた

第二  被告人Dは、判示第一の被告人BらとFらとの乱闘の際に金沢組幹部のHが相手方のIらにけん銃で射殺されたことから、その報復のためFら右乱闘の相手を殺害しようと企て、配下の被告人Cや被告人AらにFら右乱闘の相手の所在を探させたが、同年一二月二五日ころに至ってもその所在が判明しなかったので、同人らの代わりに前記F組と同じ一和会系の暴力団員に対して報復しようと決め、その相手の暴力団員を銃撃し場合によっては殺害するに至ってもやむを得ないとして、同月二八日ころ、被告人Cに一和会系の暴力団員らをけん銃で射撃するように指示し、被告人Cもこれを了承し、さらに、被告人Dは、被告人Cに対し、その用具として以前被告人Bに渡しておいた三八口径回転弾倉式けん銃一丁(昭和六三年押第一三一号の4)及び同けん銃用実包五発が被告人Cの手に渡っていることを確認したうえ、翌二九日ころにはその襲撃の方法を具体的に指示するとともに、被告人Eに対し、襲撃の現場まで行って被告人Cに協力するように指示して、被告人Eもこれを了承し、一方、被告人Aも、同日ころ、被告人Cに対し右襲撃に協力する旨申し出て被告人Cの承諾を得、ここにおいて、被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eは、右報復のため場合によっては相手を死亡させるに至ってもやむを得ないとの意思のもとに一和会系の暴力団員をけん銃で射撃することを共謀し、同日午後八時二〇分ころ、大阪市西成区花園北付近路上において、同所付近にある一和会系坂田組事務所で同組員を銃撃するつもりで被告人Aが運転する自動二輪車の後部席に同乗してきた被告人Cにおいて、同所を通りかかった一和会系加茂田組内藤原組組長K(当時四四歳)、同組舎弟頭LことL(当時五五歳)、同組本部長M(当時三〇歳)、同組組員N(当時二二歳)及び右Kの知人O(当時四四歳)の五名を発見するや、かたまって歩いている右五名に向けてけん銃で実弾を打ち込もうと決意し、被告人Aにそのまま右自動二輪車を運転して右Kらを追い掛けるように指示し、同区花園北二丁目一八番五号付近路上において、右Kらを追い抜きつつ、同人らを死亡させるに至るかもしれないことを認識しながら、あえて、右自動二輪車の後部座席から同人ら五名に向けて所携の前記回転弾倉式けん銃で実包五発位を発射したが、右Lの左側腹部と左手首に命中させて同人に加療約一四日間を要する左側腹部、左手首銃撃創を負わせたにとどまり、同人らを死亡させるに至らなかった

第三  被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eは共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、同年一二月二九日午後八時二〇分ころ、同区花園北二丁目一八番五号付近路上において、前記三八口径回転弾倉式けん銃一丁及び火薬類である同けん銃用実包五発位を所持した

第四  被告人Dは、法定の除外事由がないのに、昭和六三年二月四日ころ、同市天王寺区〈住所略〉××ハイツ六〇一号室において、回転弾倉式けん銃一丁(同号の5)及び火薬類であるけん銃用実包一四発(同号の6)を所持した

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

第一  判示第一の犯行が過剰防衛に該当するとの主張について〈省略〉

第二  判示第二の犯行の共謀内容と未必の殺意の認定について

一  弁護人は、判示第二の事実につき、関係被告人らの間には、一和会系の暴力団ないし暴力団員に対し器物損壊、脅迫、傷害等を加えることになるかもしれないとの程度の共謀があったにとどまり、殺人の共謀をした事実はなく、実行行為にも脅迫程度の故意が認められるだけで、傷害の故意すら認められない旨主張し、被告人五名も、公判廷においてこれらに添う供述をしているので、以下この点につき補足して説明する。

二  関係各証拠によって認められる判示第二の犯行の経緯は、つぎのとおりである。

1 昭和六二年一一月四日判示第一記載の被告人BらとFらとの乱闘の際に金沢組幹部HがFないしIに射殺されたことにより、被告人D、被告人C及び被告人Aらは、同日午前四時ころ大阪市西成区内の輝竜会事務所に集まり、被告人Cらが、被告人DにHが殺された経緯を報告したところ、被告人Dは、その場にいた金沢組幹部のPに「Fの三人のうち誰かの玉をとらな格好がつかん。Hが殺された喧嘩の原因はBにあるのでBに実行させる。」旨話し、傍らでこれを聞いていた被告人C及び被告人Aは、被告人DはHが射殺されたことの報復として被告人Bに前記乱闘の相手方であるFらを殺害させるつもりであることを知った。そして、同日午前一一時ころ、被告人Dは、被告人Bを呼び出して右報復のためFらを殺害するように指示し、被告人Bは、これを承諾して、その後被告人Dからの連絡を待つことにし、同月二〇日ころには、被告人DからFらの殺害に使用するための用具として判示第二記載のけん銃及び実包五発(以下、「本件けん銃、実包」という。)を受け取った。一方、被告人C及び被告人Aは、そのころから被告人Dの指示で右報復のためFらの所在探しに当たり、同月一九日ころからは、前刑の仮出獄により被告人Cを頼ってきた被告人Eも、被告人Cらと行動を共にしてFらの所在探しに当たるようになった。

2 被告人Dは、金沢組の面子を保つためにも早くFらに対する右報復を実行したいと思っていたが、なかなかFらの所在が判明しなかったので、同年一二月二五日午後六時ころから、被告人C方に同被告人のほか被告人B、被告人A、被告人Eらを集め、被告人Bに対し、Fらの所在が判明しないのでFらと同じ一和会系の暴力団員なら誰に対してでもいいから早く右報復を実行するように指示し、被告人Bもこれを承諾して、右報復の標的を詮索し、被告人Cが一和会系藤原組のNを知っていると言い出したことから、被告人Dは、右Nを報復の標的にしようと考え、被告人Cに右Nの所在を探すように命じ、すぐに被告人C、被告人A及び被告人Eが右Nの所在を探しに行ったが見つからなかったため、被告人Bが大阪市西成区内に事務所を構える一和会系坂田組を襲撃すると言い出し、被告人Dもこれを了承した。

そして、同月二六日午後六時ころ、被告人C方に被告人D以下全被告人が再び集まり、被告人Dの指示で、坂田組襲撃の方法として、坂田組事務所近くの喫茶店に架電して同組事務所へのコーヒーの出前を注文し、喫茶店の店員がコーヒーを運んで同組事務所を訪れ、ドアが開いたときに被告人Bが同組事務所内に入って同組員を拳銃で撃ち、被告人Cと被告人Eは被告人Bについて行って被告人Bの行動を見届けることにし、同日午後六時半ころ、被告人B、被告人C、被告人Eは、右坂田組事務所付近へ赴き、手筈どおり被告人Eが付近の喫茶店に同事務所へのコーヒーの出前を注文したが、被告人Bが襲撃実行の気を失って同組事務所に入ろうとしなかったため同日の襲撃は失敗に終わった。

3 被告人Bらは、同日午後八時ころ被告人C方に戻り、待っていた被告人Dに坂田組襲撃に失敗したことを報告したところ、被告人Dは、被告人Bに対し本当にやる気があるのかと問い詰めたので、被告人Bは、その場では明日もう一度坂田組事務所に行って襲撃を実行すると答えた。しかし、既にやる気を失っていた被告人Bは、同日夜被告人C方から帰る際に、被告人Cに「さぶいからこれ預かっといてくれ。」と、警察官に職務質問でもされて見つかると困るのでけん銃を預かって欲しい旨口実をもうけて、本件けん銃、実包を被告人C方に置いて帰り、翌二七日には、被告人Bの坂田組襲撃を手伝おうとして同被告人からの連絡を待っていた被告人Cらに対し何の連絡もせず、姿を現わさなかった。そこで、同日夜、被告人Cが被告人Dに電話でその旨報告すると、被告人Dは、「もうほっとけ。お前ひょっとしたら考えとけ。」と被告人Bに替えて被告人Cに右報復のため坂田組襲撃を実行させることになるかもしれないと告げた。

4 翌二八日の夕方、被告人Bから被告人Cに電話がかかり、被告人Cが「昨日なんでこんかったんですか。」と尋ねると、被告人Bは「達ちゃん、おまえが音ならしたら、わしはわしで格好つけたるがなあ。」とあいまいなことを言ったので、被告人Cは怒って「もうよろしいわ。」と答え、それで終った。

5 同日午後八時ころ、被告人Cは、被告人Dの内妻方に赴き、同被告人に被告人Bは右報復を実行する気がない旨伝えると、被告人Dから右報復のための坂田組襲撃を実行するように指示を受けてこれを了承し、その後、被告人Aに対し、坂田組事務所からの逃走用に必要な自動二輪車の段取りを頼んだ。翌二九日、被告人Dは、被告人C方を訪れ、被告人Cから被告人Bに実行させようとしたのと同様の方法で坂田組を襲撃し、被告人Eが同行して協力する旨のその襲撃計画を聞いてこれを了承した。その後、自動二輪車を段取りしてきた被告人Aが、被告人Cに対し自動二輪車を運転し被告人Cの坂田組襲撃を手伝う旨申し出て、被告人Cも被告人Aに右自動二輪車の運転を頼むことにした。同日午後六時過ぎ、被告人Cは、被告人Dの内妻方に赴いて、被告人Dと坂田組を襲撃した後に落ち合う場所等を決め、被告人A運転の自動二輪車の後部座席に乗車して坂田組事務所に向かい、同組事務所付近で待ち合わせていた被告人Eと合流し、被告人Bに実行させようとしたのと同様の方法で坂田組を襲撃しようとしたが、被告人Cも怖くなって実行に移れなかった。

6 そこで、被告人Cは、同組事務所付近の路上で、被告人Aや被告人Eに「同組事務所の窓ガラスを割って格好をつけようか。」と相談したが、被告人Eに「窓ガラスを割るだけなら石投げてもできる。けん銃撃つのは弾がもったいない。」とけん銃を使って窓ガラスを割るだけでは格好が悪い旨言われて収拾がつかず、しばらく同組事務所周辺を回って様子を窺うことにして、被告人Aの運転する自動二輪車の後部座席に乗って発進し、すぐそばの交差点で信号待ちをしていると、たまたま前記Nが数名と連れ立って歩いて行くのを目撃し、その様子から、連れは一和会系藤原組の組長らであると気づいて同人らをけん銃で撃って右報復を果たそうと決意し、被告人AにNがいたので追いかけるようにと指示し、付近路上にいた被告人EもNらに気づいて同人らの歩いて行った先を指差して教えてくれて、判示第二の犯行を実行した。その後、現場から逃走した被告人Cは、被告人Aとともに被告人Dと約束の場所で落ち合い、Nら藤原組員を銃撃したが命中したかどうか分からない旨報告し、被告人Dはこれを了承した。

三  以上の認定事実からすると、Hが殺害されたその日のうちに、被告人D、被告人B、被告人C及び被告人Aらの間で、H殺害の報復としてHを殺害した相手方のFらを殺害する旨の共謀が成立していたことは明らかである。しかし、その後、なかなかFらの所在が判明せず、右共謀にかかる報復の標的が他の一和会系暴力団員に振り替えられ、最終的には、被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eの間で、当面の目標として一和会系暴力団員のうち坂田組員を襲撃することを共謀したのであるが、その共謀にかかる襲撃の方法は、同組事務所付近の喫茶店から同組事務所へコーヒーの出前を持って行かせて同組事務所の入口扉が開いた機会に同組事務所内に入って同組員らをけん銃で射撃するというものであって、右共謀内容はやはり人をけん銃で射撃するというものであるところ、関係各証拠によれば、右報復の標的がH殺害の直接の相手方であるFらからH殺害に直接かかわりのない他の一和会系暴力団員に振り替わったことにより、右関係被告人らとしても積極的に相手を殺害しようとまでの気持ちが薄らいだと窺えるものの、右共謀内容が前記のとおり間げきをついてのけん銃による射撃であるだけに、その実行により場合によっては相手方を死亡させるに至ることも当然考えられるところで、右関係被告人らの間でも、そのことを共通に認識していながら、あえて右のような襲撃方法をとることにしたものと認められるから、右関係被告人らの間には、判示のとおりの殺人の共謀が成立したものというべきである。

四 次に、判示第二の犯行の実行場面についてみると、前示のとおり、被告人Cは坂田組襲撃を実行しかねているうちに、偶然、Nら藤原組組員らを見かけて、同人らを前記報復の標的にする決意をしたものであるが、前示のとおり、Nは、単に一和会系藤原組の組員であるばかりでなく、以前に被告人D、被告人C、被告人Bらの間で右報復の標的に挙げられたことがあったから、Nらを右標的にすることが被告人Dの意に反しないことは明らかであったし、関係各証拠によれば、被告人Aは、Nらの集団を追い抜く際に自動二輪車の速度を落として運転したうえ、同人らに「すいませんね。」と声をかけて被告人CがNらを銃撃しやすいように配慮し、被告人Cは、進行中の同車の後部座席からけん銃を両手に持って胸あたりに構え、幅員四メートル足らずの道路の左側を前後二列でかたまって歩行していたNらの集団の右側を追い抜きざま、右集団のうち特定の人物を狙うのではなく、その集団目がけて、まず右集団の真横ないしやや後方から銃弾を二発発射し、続いて右集団を追い抜いて約一一メートルほど離れた地点から振り返るようにしてやや下向きに二発、さらに少し進行し約二六メートルほど離れた地点から一発銃弾を発射したことが認められ、このような犯行態様に加えて、判示のとおり現に右集団の中にいたLの脇腹と手首に右銃弾が命中したことからすれば、被告人Cは、Nらの集団内の人間に実弾を命中させようとしながら、人体のどの部位に命中するかは被告人Cにもおよそ不確定な方法でけん銃を発砲したもので、同被告人が右集団のうちの誰かが死亡するに至るかもしれないことを認識しながら、あえて本件犯行に及んだことは十分認められる。

五  よって、判示第二の犯行は、被告人Cが被告人D、被告人A及び被告人Eとの判示共謀に基づいて未必の殺意をもって実行したものと認定すべきである。

(累犯前科)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(無罪部分の理由)

一 被告人Bに対する昭和六三年三月一九日付起訴状記載の各公訴事実は、被告人Bも被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eと共謀して判示第二及び第三の各犯行に及んだというものであるが、当裁判所は、被告人Bは、Hが殺害されてから一旦、その報復として被告人Dらと当初はFらを殺害することを、次いで他の一和会系暴力団員を場合によっては殺害するに至ってもやむを得ないとの意思のもとに判示第三のけん銃と実包を用いて銃撃することを共謀したが、遅くとも判示第二及び第三の犯行日の前日である昭和六二年一二月二八日ころには右各犯行の共謀から離脱したものと認める。以下、その理由を説明する。

二  判示第二及び第三の犯行に到る経緯は、前示争点に対する判断の第二に認定のとおりであって、検察官は、右事実経過事態は争わず、被告人Dらとの共謀のもとに自から本件けん銃、実包を用いて坂田組襲撃を実行する予定であった被告人Bが、妻子への未練や長期の服役に対する嫌気などからこれを実行せず、替わりに被告人Cがこれを実行することになって判示第二、第三の犯行の実行に及んだことは認めるものの、被告人Bは、自己が右襲撃の実行者になることを躊躇しただけで、右共謀から離脱する意思はなく、被告人Cに右襲撃を実行させようとして本件けん銃、実包を預け、同被告人が被告人Bの替わりに右襲撃を実行することを期待していたものであって、もとより、被告人Dらに対し、右共謀から離脱するとの意思を表明したこともないので、被告人Bの右共謀からの離脱は認められない旨主張し、被告人Bの司法警察員及び検察官に対する各供述調書中にも、「日がたつにつれ、嫁さんや子供のことを考えると長い懲役に行くのが嫌になり、自分で相手を撃ち殺すのが怖くなった。私は、相手を殺して刑務所に行ったりせず、その役をCにさせてやろうと考え、一二月二六日ころ職質にかかったらまずいという口実でむりやりけん銃をCに持たせてやった。その翌々日、私が一和会への仕返しの行動をしないということでCが私を怒ったので、私はおまえがやれというように行って仕返し役をCに押し付けた。自分で人殺しをするのは怖いし、そうかといってやりたくないと言えば臆病だと思われるので、仕返しの実行行為を何とかCら他の人間にやらせてやろうと思ってけん銃を預けた。」旨の検察官の主張に添うような供述部分がある。

三 しかしながら、前示のとおり、被告人Bは、昭和六二年一二月二六日、被告人Dに坂田組襲撃の方法まで具体的に指示されたにもかかわらず、同日坂田組襲撃に出かけてみると、それを実行する気を失って坂田組事務所付近まで行きながら全く襲撃を実行しようとせず、その夜被告人Cに適当な理由を言って本件けん銃を渡して帰宅し、翌二七日には、被告人Dらと連絡を断ち、前夜同被告人から指示されていた同日の坂田組襲撃の実行を放置し、その翌二八日の夜、被告人Cに架電した際には、被告人Cから「昨日なんでこんかったんですか。」と尋ねられたのに対し、「達ちゃん、お前が音ならしたら、わしはわしで格好つけたるがなあ。」とあいまいなことを言い、怒った被告人Cに「もう、よろしいわ。」と言われて、それで終わり、被告人Cが被告人Dに右のような被告人Bの言動を報告すると、被告人Dは、「もうほっとけ。」とまで言って、坂田組襲撃の実行を被告人Cにやらせる決意をしたのであり、更に、関係各証拠によれば、被告人Bは、前記同月二八日夜の被告人Cとの電話以後、被告人Dら全被告人と一切連絡を断って姿を隠し、被告人Cらが坂田組を襲撃しようとして判示第二の犯行に及んだことも同月三〇日になって新聞を見て始めて知ったことが認められるのであって、以上によると、被告人Bは、遅くとも同月二八日にはH殺害の報復の意思を完全に失っており、このことは、そのころ、前記のような被告人Bの言動、態度から被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eらにも伝わっていたものと認められるから、被告人Bは、遅くとも同月二八日ころには、被告人Dらとの間のHが殺害されたことに対する報復の共謀から離脱し、判示第二及び第三の犯行には加担していないとみるべきである。

四  検察官は、右のような被告人Bの言動について、前記のとおり、被告人Bは、自己が襲撃の実行者になることを躊躇して、被告人CらにH殺害の報復を実行させようとしたにすぎず、その共謀から離脱したわけではない旨主張するが、前記認定のとおり、被告人Bが、被告人Dによって右報復の実行行為者に選ばれたのは、Hが殺された際の喧嘩の原因が被告人Bにあると見られたからであり、更に前記の金沢組内での被告人Dと被告人Bの立場を考えれば、被告人Bとしては、勝手に自分が右報復を実行せずに被告人Cらにこれを実行させることができるはずもなく、むしろ、被告人Bとしては、右報復の実行を躊躇した以上は、その共謀から離脱するほかなかったというべきであるから、右検察官の主張は採用できない。

また、検察官は、被告人Bが、被告人Cが判示第二の犯行を実行した後、本件けん銃は被告人Bの物であるとして被告人Cとともに警察に出頭する旨同被告人と話し合ったことからも、被告人Bが右犯行の共謀から離脱していないことは明らかである旨主張するところ、関係各証拠によれば、被告人Bが、被告人Cらによる右犯行を知った後、被告人Dと連絡を取り、同被告人の指示で被告人Cと右のような打ち合せをしたことは認められるが、そもそも被告人Dがこのように指示したのは、被告人Bが右報復から逃げ出したので事後的にでもその根本の当事者として責任を取らせようとしたものとみれるし、関係各証拠によると、被告人Dは、被告人Bに被告人Cの身代りとして警察に出頭してはどうかと言っていたのに、被告人Bは、被告人Cと打ち合せるうちにその気を失って、被告人Cに身代りになる気はない旨述べ、その話はつかないまま別れたことが認められるのであって、右検察官主張の事実をもってしても前記認定を覆えすことはできない。

五  次に、被告人Bの前記供述についてみると、各被告人の捜査段階の供述によれば、被告人Bが被告人Dの指示に反して前記報復の共謀から離脱したことが明らかになれば、被告人Bは金沢組から絶縁されて今後どの暴力団にも所属できなくならざるをえないことが窺われ、長年暴力団員として暮らしてきた被告人Bとしては、他の被告人らが刑責を問われる以上、多少の期間の懲役は覚悟して、体面上、右共謀から離脱していないとみられるような供述をしたとしても不自然ではなく、前記二で認定した当時の被告人Bの言動、態度に照らしても、右供述はたやすく信用できない。

六  なお、関係各証拠によれば、被告人Bは、昭和六二年一一月二〇日ころから同年一二月二六日ころまでの間本件けん銃、実包を所持していたことが認められ、右事実は被告人Bに対する昭和六三年三月一九日付起訴状記載の公訴事実第二と一罪の関係にあるものと思料されるが、右公訴事実第二は、同第一の殺人未遂の事実に伴う事実として、あえて同第一の殺人未遂の日時、場所における所持に限定して起訴されたものと推測できるし、同第一についての判断を示す前に、検察官に対して同第二について訴因変更を命じることは適当ではないので、この点については訴因変更を命ずる義務まではないものと判断し、同第二についても起訴された訴因の限度で無罪を言い渡すこととした。

七  以上のとおり、結局被告人Bに対する昭和六三年三月一九日付起訴状記載の各公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条により被告人Bに対し右各公訴事実につき無罪の言渡しをする。

(量刑の事情)

一  被告人D、被告人C、被告人A及び被告人Eについて

右各被告人らの判示第二の殺人未遂及び第三のけん銃及び実包所持の各犯行は所属する暴力団の幹部が殺害された報復として暴力団特有の反社会的な考え方に基づき敢行された組織的、計画的な犯行であるうえ、判示第二の各被害者が右幹部の殺害事件とは無関係であるのに所属暴力団の面子を保つために右各被害者を銃撃したのであって、その動機において激しく非難されなければならない。そして、判示第二の犯行は、午後八時過ぎに飲食店などの立ち並ぶ狭い道路において歩行中の被害者五名の集団に対し無差別に実包五発を発射したもので、見届け役として路上に佇立していた被告人Eにその実包の一発が命中して重傷を負わせたことからも明らかなように、各被害者のみならず、暴力団と無関係な一般人にも被害を与える危険性もあったことから、付近住民等に多大の不安感を与えたことも軽視できない。また、右犯行により、被害者Lに銃創を負わせたその結果も軽視できず、とりわけ判示第二及び第三の犯行についての右各被告人の刑責は重い。しかし、右各犯行の関係では、幸いにして被害者L以外のものには実弾が命中せず、右Lに対しては被害弁償がなされて同人との間に示談が成立し、同人他二名の被害者からは嘆願書も提出されていることは、右各被告人らに有利に斟酌すべきである。

次に、右被告人ごとの情状について検討する。被告人Dは、被告人らの所属する暴力団組織内において他の被告人らの上位にあり、判示第二及び第三の各犯行においては、被告人Cらにその実行を命じ、その方法を具体的に指示して本件けん銃等を準備した首謀者であるから、その刑責は右各被告人中最も重いし、判示第四のけん銃及び実包の所持の罪も暴力団員であるからこその犯罪で、反社会的態度が顕著である。被告人Cは、判示第二及び第三の各犯行を実行したほか、右犯行の謀議にも深くかかわってきたものであり、判示第一の犯行にも加わっていて、その刑責は被告人Dに次いで重いといわざるをえない。被告人Aは、被告人Cと常に行動を共にし、判示第二の犯行に際しては、被告人Cの同乗する自動二輪車を運転して実行行為そのものに深く関与しているほか、判示第一の犯行においても、金属バットで各被害者を執拗に殴打するといった過激な行為に出ていて、その刑責は、被告人Cと比べるとやや軽いが格段の差はないというべきである。被告人Eは、判示第二の犯行の計画に途中から加わったのであるが、その後は積極的に関与し、その実行現場にも赴いて被告人Cの犯行の実行に協力していて、その刑責は決して軽くはないし、前科三犯を有し、本件各犯行が仮出獄中の犯行であることに鑑みると、更生の意欲に欠けるともいわざるをえない。

しかし、被告人D及び被告人Cには、前科があるが、いずれも罰金の前科のみであり、被告人Aは前科を有さず、また、右三名の被告人らにはそれぞれ妻や幼児がおり、被告人Eにも出所後の監護を申し出る者がいるなどの有利な事情も認められる。

そこで、先ず右各被告人について以上の諸事情を考慮して、それぞれ主文のとおり量刑した。

二  被告人Bについて

被告人Bは、判示第一の犯行においては、被告人Cらを呼び集めてFに喧嘩を仕掛けたもので、自らも特殊警棒を使っての暴行に出たことに加え、右犯行の際に共犯者のHが射殺されたことにより判示第二の犯行に発展したことを考えると、その刑責は重く、更に、被告人Bは、暴力団員としての経歴も長く、無為徒食の生活を送ってきたもので、前科三犯を有することも考え合わせると、その犯情は重いといわざるをえない。しかし、被告人Bには長く連れ添ってきた内妻とその間にもうけた幼児がいることなどの有利な事情も認められる。そして、被告人Bは、ともかくも判示第二及び第三の犯行の共謀から自主的に離脱したと認められるから、判示第二のH殺害に対する報復の計画に途中まで関与してきたことは量刑上特に考慮することなく、以上の諸事情を考慮して主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官米田俊昭 裁判官白石史子 裁判官宮武康は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官米田俊昭)

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